東京地方裁判所 昭和27年(行)162号 判決 1956年5月19日
原告 李玉基
被告 法務大臣
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告が昭和二十七年九月十八日為した原告の同年八月二十一日特別審理官高橋福雄の為した判定に対する異議申立は理由がないとの裁決はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めその請求の原因として、
「一、原告は太平洋戦争前より引続いて現在迄日本に居住しているものである。
二、然るに昭和二十七年八月十四日入国審査官川崎専一は原告を出入国管理令(以下単に管理令という)第三条に違反し、同令第二十四条第一号に該当するとして、本邦から退去を強制すべきものと認定した。そこで原告は即日特別審理官高橋福雄に対し口頭審理の請求をしたが、同特別審理官は口頭審理の結果同月二十一日右入国審査官川崎専一の認定に誤りがないと判定した。そこで同日原告は被告に対し異議申立をしたところ、同年九月十八日被告は原告の異議申立は理由がないと裁決し、その頃横浜入国管理事務所長を経て原告に通知した。
三、然しながら被告の為した右裁決は次の理由で違法であり取消さるべきである。
(一) 原告は第一項記載のとおり大平洋戦争前から日本に居住していたものであつて、管理令第三条に違反した事実なく、従つて同令第二十四条第一号によつて本邦より退去を強制されることはないから、右入国審査官川崎専一の認定は事実を誤認した違法があり、その認定を誤りがないとした右高橋特別審理官の判定も違法であり従つて被告が為した原告の異議申立を理由がないとの裁決もまた違法である。
(二) 仮りに右主張が認められないとしても原告は当時日本領であつた朝鮮慶尚北道昆州郡修倫面修倫道で、日本人として生れ、大平洋戦争以前から日本内地に居住し(即ち原告は昭和二十年二月韓国人金昌文と結婚し川崎市に居住していたが、同年五月空襲のため住家が焼失したので右金と相談の上原告だけは朝鮮に疏開することになり、単身川崎をたつて東京駅えゆき、朝鮮行の汽車の切符を求めようとしたが購入できなかつたので、朝鮮に疏開することを断念し、そのまま埼玉県下に在住していた叔父の李炳旭を尋ねて同人方に身を寄せた。そして終戦後夫の許に帰るべく行方を探して東京、埼玉、横浜等を転々としていたが、その所在がわからなかつたが、漸く昭和二十七年五月下旬現住所附近で夫を見出だし以来同居し今日に至つたのである、現在肩書住所において菓子販売業を営み、夫金昌文との間には長男日明、長女京美を儲け親子四人で円満に生活しており、現在妊娠中の身である。このような原告に対し退去を強制すれば原告自身のみならず夫及び幼少の子供の生活をも危殆に瀕せしめることとなり惨酷極まりない状態となることは明らかである。このような原告に存する事情はまさに管理令第五十条第一項第二号第三号に該当するものというべきであるから、被告は右条項を適用して原告に本邦における在住を許可すべきであるのに、これを許可せず異議申立は理由がないとした右裁決は被告の自由裁量を逸脱した違法な処分である。」
と述べ、被告主張事実中原告が韓国人であることは認めるがその余の事実を否認すると述べた。(立証省略)
被告指定代理人は主文第一項と同旨と判決を求め、請求原因事実に対する答弁及び主張として。
「一、原告主張の日に入国審査官川崎専一が原告を管理令第三条に違反しており同令第二十四条第一号に該当するとして本邦からの退去を強制すべきものと認定したこと、原告が即日右認定に対し口頭審理の請求を為し、原告主張の日に特別審理官高橋福雄が原告主張のとおりの判定をしたこと、原告は即日右判定に対し異議申立を為し、被告は原告主張の日に原告の異議申立は理由がないと裁決したこと、右裁決が原告主張のような方法で原告に通知されたことはいずれも認めるが、その余の主張事実はすべて争う。
二、原告は韓国人であつて、昭和二十七年五月二十日頃有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで漁船で緯国慶尚南道三浦港を出港し、翌二十一日頃博多港に上陸したものである。従つて原告は管理令第三条の規定に違反して本邦に入国したものであるから、管理令第二十四条第一号により退去を強制すべきものと認定した右川崎入国審査官の認定には誤りがなく、右認定を誤りなしと判定した高橋特別審理官の判定を相当とし原告の異議申立を理由がないとの被告の裁決も何等違法でない。
三、右第二項記載のとおり原告は本邦に不法入国したものであるから原告の本邦における在留を特別に許可しなかつたとしても、被告の自由裁量の範囲を逸脱したことにはならない。」と述べた。
(立証省略)
理由
原告が韓国人であること、昭和二十七年八月十四日入国審査官川崎専一は原告を管理令第三条に違反して入国したものであるとして、同令第二十四条第一号により本邦からの退去を強制すべきものと認定したこと、同日原告は口頭審理の請求をしたところ、特別審理官高橋福雄は口頭審理の結果同月二十一日右川崎入国審査官の認定に誤りがないと判定したこと、同日原告は被告に対し右判定に対する異議申立を為したところ、同年九月十八日被告は原告の異議申立は理由がないと裁決し、その頃横浜入国管理事務所長を経てその旨原告に通知したことは当事者間に争いがない。
成立については争のない乙第一号証から第三号証まで(右乙号各証についての原告主張は後記のとおり採用することができない)と証人趙貴順、同金昌文(但し後記の措信しない部分を除く)の各証言に原告本人尋問の結果(但し後記の措信しない部分を除く)を綜合すると、原告は朝鮮で生まれたが父母に死別したため叔父の李炳旭に伴われて昭和七年頃日本に渡航して埼玉県南埼玉郡大沢町の右李炳旭に居住していたが、昭和二十年二月金昌文と結婚して川崎市に移住していた。しかし当時は、米軍の空襲が激しくなつたため、同年五月頃疏開のため朝鮮に帰り夫の兄の家に同居したが同年八月終戦となり日韓間の交通は不自由となり、原告が正式の手続を経て来日することは困難となつたので、夫の許に帰る希望を懐きながら来日できなかつたが、昭和二十七年になつて釜山から日本へ密航船が出ることを聞き釜山へ出て二カ月間便船を搜し、漸く昭和二十七年五月二十日頃釜山から三千浦へ行きそこで日本へ密航する小漁船に乗船し、翌二十一日の午後十一時九州博多港附近の海岸に上陸して入国したことが認められる。尤も原告は戦争中朝鮮に帰らず引き続き日本に在住したと抗争し、前記乙号各証は外国人登録証を入手したい一心で虚偽の陳述をなしたものであると主張するのであるが右主張を認めるに足りる証拠はない。なるほど証人金昌文、李炳旭の各証言に原告本人の供述には右主張に添うような供述があるけれども前記の各証拠に照らし、又右各証言及び供述を検討すると到底信用することを得ないのである。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。してみると原告は管理令第三条に違反し、有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで入国したものであるから同令第二十四条第二一号により原告を本邦より退去強制すべきものと認定した入国審査官川崎専一の認定にはなんら事実を誤認した違法はないのであるから、右認定に誤りがないとした特別審理官高橋福雄の判定を認容した被告の裁決は事実を誤認した違法があるとする原告の主張は理由がない。
次に、被告が管理令第五十条によつて在留を特別に許可しなかつたことの当否を判断する。管理令は同令第二十四条に該当する者を本邦により強制退去させるべきものと定め、外国人に容疑の事実ありと判断する限り、必ず主任審査官は退去強制の手続を執ることを命じている。僅かに同令第五十条は法務大臣が異議の裁決に当つてその裁量によつて在留を特別に許可し得ることを定めているが、この例外の規定は右原則による処置を禁止し、当然法務大臣が在留を許可しなければならない場合を定めたものではなく、ただ法務大臣が諸般の事情を考慮して特別に在留を許可し得る旨及び特別に在留を許可する場合には、少くとも同条第一項一号ないし三号の条件を具備すべき旨を定めたものと解すべきである。従つて法務大臣が同条の要件に合致しない者に許可した場合に違法の問題を生ずることはあつても、右許可を与えないことに関しては何ら違法の問題を生ずる余地はない。してみると原告が管理令第二十四条第一号に該当するものであること叙上説示のとおりである以上爾余の点(原告主張の事実どおりであれば憫諒すべきものがないでもない)を判断するまでもなく原告の主張は失当として排斥されなければならない。
よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岩野徹 井関浩 富川盛介)